私はものすごくよく「日本人ですか?」と聞かれます。そりゃぁもう、笑っちゃうくらい頻繁に。初対面で聞く人も、かなり長くお付き合いしてから聞いて来られる人もいらっしゃいます。皆さんにだけ、そっと種明かしをすると、日本人です。生粋の。
確かに、いろんな言語を話せるし、アクセントも時々、ちょっと訛ってるかも知れません。でも、きっと人々が言っているのはそういうことじゃないんだと思います。
6年くらい前から始まったこの現象。当初は私は外国人とアーティスト枠で乗り切ってきました。でも今は違います。原因がわかってきたからです。私は自由なのです。
自由?どういうこと?とおもいましたか?
例えば、ここ10年私はアラームで起きたことがほぼありません。でも、今日は4時半起きで、いつもだいたい6時くらいには起きてます。日記に睡眠時間を記録するし、食べたものも記録します。
私は家族とはあんまり縁がないので、属しているのはしらすちゃんだけです。会社にも属してなくて、やってるのは自分のサイトだけ。つまり、私以外のどこにも属していないのです。
一見難しそうに見えるこの話、実はシンプルです。愛のお話。
私は私を無条件に愛しているのです。アーティストだから、家族だから、病気だから、愛されるわけではなくて、私は私をどんな状態でも、一番に愛すると決めています。だから、何かが起きたときに、困ったときに、自分を消してまで、人とのつながりを保とうとしないのです(一番のサンプルは両親との関係です)。
もちろん、そうすることを選ぶのは、大変でした。人は大抵の場合、安全のために人とのつながりを、多少痛い思いをしても、多少自分を犠牲にしても、保っているものだからです。でも、私はそれを全部外してみたかった。外して、それでもなお、ちゃんと自分と自分より大きな何かが私を守っているという状態を感じたかったのです。最大限自分の望みを丁寧に叶えることで、ちゃんと道が整ってくるということを実践したかったのです。そこのある「安心」をちゃんと体感したかったのです。
今考えると、これは私が一番今回の人生で学びたいと思ったことなんだろうなぁと思います。
これは別にヘルプがいらないとか、ずっとひとりでいたいというお話ではなく、ただ、まず、私はひとりでも自由でいることを選びます。というお話。そして、同じように相手の自由を尊重しながらいろんな人と関わりを作りたいですというお話です。
そうやって所属を減らして行った時、私はもはや日本人という枠にさえ、はまっていないのだと思います。もっと深い人間としての、存在としての「個」という枠だけに還るプロセスに今、いるんだと思います。
先日、バスの運転手さんが、こっちは日本語で聞いているのに、「OK OK」と言って、ジェスチャーででっかい丸を両手で描いてくださいました。「おかしいなぁ、日本語なんだけどなぁ….」と思いながら、いつものことなので、その愛らしいジェスチャーに微笑みながら、ちょっと心をあったかくしながら、ありがとうと思いました。
自分を無条件で愛している時、属することに必要な条件は、存在であること以外になくなります。私が私でいて、このバスの運転手さんのように、相手も相手でいることしかできなくなるのです。運転手さんではなくて、その人として。
それを嬉しいと思う人もいるし、厄介だ、怖いと思う人もいるでしょう。
上記のようなエピソードは、このブログを読むと随所で見ることができます。
この場所で、私がお伝えするのは、そんなふうに、自分自身を愛して、自由になっていく術。自分の喜びを見つけて、感じて、それを実行していく。単純にそれだけの大冒険です。
気持ちの話を誰かとして、食べたいものを毎日自由に選んで作り、嬉しいから人にあい、仕事をして、全部の自分を毎日を悲しくても、辛くても、ああやっぱり生まれてよかったなぁと思うような、そんな風にその人が選ぶことができるようになる場所です。大冒険です。
そんな大冒険がこの場所にはあります。興味のある方は、好きな扉から、どうぞ、お入りください。ご一緒できることをそっと楽しみにしています。




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