【法という詩】

I to あわい
法という詩

普段、私たちを守り、正してくれる「法律」社会のルールとして、それに従い暮らす基準。外側にある「常識」「正しさ」。でももしそれが、元々は誰かの内側からできたものだと知ったらどうでしょうか?今私が書いているこの文章や多くの小説や俳句や詩のように誰かの「創作」だとしたら。

「リアルであること」の中で中沢新一さんが『「十戒」は詩である』という旨のことを書いていらっしゃいました。

聖書の中にあるモーセの十戒(プロテスタント版)

これです。

宗教を浸透させるために作られた倫理の基準。みんなでこれを守ったら、よりよく暮らせるよという基準。

でもこれ、モーセが神から授かったと同時に私が推測するに、おそらくはそれを実際の暮らしでよりよく機能させるために言い回しを変えたり、伝え方を変えたりして改変した部分があるんじゃないかなと思います。

倫理というのは、外にあるものではないです。そして、最初からあるものでもないです。だから、人類は最初に共有する倫理/定規として「宗教」というものを必要としたのです。


いつものように話は少し飛びます。みなさんは、自分の中にルールはありますか?例えば・スマホを開く前に、瞑想する・なるべく週に3回くらい気持ちよく散歩に行くとか、そういう感じの自分ルール。

私はこれがたくさんあります。自分の暮らしを入れる器としての自分のためのルール。

それを基準にして、守っていることで私が守られるから、作っているルールです。..でも、この自分ルールを作る理由と法律や憲法を作る理由とその源が実は一緒だとしたらどうでしょう?

私はこれらのルールを基本的には自分の体の快・不快で決めます。それもその日だけではなく、

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