朝ごはんが好きです。といっても、私が朝ごはんを食べるのは、起きてから3時間後とかゆっくりなので、ブランチみたいな感じかもしれないです。パンと野菜と卵と紅茶とか、ご飯と味噌汁と漬物とか。その時々によって、はやりがあって、それを準備する感じも、冷蔵庫を見て決める感じも、綺麗に盛り付ける感じも、食べるのも全部好きです
私は母の作るご飯が今でも食べられないのですが、それでも、母が作っていた朝ごはんはよく覚えていて、美味しいのがあったなぁと思うのです。特にジャガイモの千切りとひき肉の炒め物。そして、かぼちゃとチーズの焼いたの。すごく優しい味だなぁと今でも思います。母はあんまり道具に関して関心がなかったので、きっと4人分朝に千切りしたんだと思います。大変だったろうなぁ。だからか、あんまり出てこなかったので、さらに美味しかったなぁと思うのです。
母の作る朝ごはんは、パンがあって(父が好きなので)、大抵は焼いてある野菜があって、卵のバリエーションがあって、大人にはコーヒーがあって、私たちには牛乳があって。それだけなんですが、構成が決まっていて、でもたくさんバリエーションがあって、その安定している感じとか、変わりないけど飽きない感じとかがすごくいいなぁと思うのです。
私のインスタに載っているのは、そういうわけで、朝ごはんシリーズです。昔はイヤイヤ食べていたピーマンも、今は、細切りにして焼いて、それを鰹節であえてとか、美味しく食べる方法がだんたん見つかってきました。大の苦手だった茹でたにんじんは、サラダにしたり。
これは私が大人になって、彼らと適切な距離を取れるようになったから初めて言えることですが、人はみんなその人のベストを尽くしています。私の両親は、そんなわけで、両親としてはかなり色々足りないところがあって、まだ学びの途中なんだろうなぁと思います。何十年もかけて、そんな体験を消化していくうちに、そして、全く食べられなかった頃から、だんだんと美味しく食べられるようになって、その美味しさを自分で作ることができるようになった今、全部が白と黒じゃないなぁということもよく受け取れるようになりました。
だから、今は、母が作ったご飯の中で、美味しかったなぁというものは、ちゃんと自分の食卓に登ります。私なりのアレンジをしたりもします。母が母なりにした努力の中で、愛だったなぁという部分をちゃんと受け取ることができるようになったのです。
人がその人の中で戦いを繰り広げている時、周りの人は傷つきます。そして、その戦いを自分の中で引き継ぎます。私たちにできるのは、自分の中の戦いを終わらせること。それだけ。どんなに正しく見えなくても、悲しくても、寂しくても、人の中は変えることはできないのです。でも、自分の中を平和にして行くことはできます。そして、こんなふうに、「お母さんの朝ごはん」を思い出したりもできます。
子供の頃、あんなに辛かったのに、ちゃんと美味しいものを美味しいと感じていた私を、私はすごく褒めたいなぁと思います。辛いことさえわからないくらい辛かったのに、美味しいものがあってよかったね。そして、それを今の私に渡してくれてありがとう、と。




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