私は山が好きです。正確にいうと、山に登るのが好きです。現実でも、メタファーの世界でも。
目の前に山があったら、迷わず計画を立てて、どうやっていつ登ろうと考えます。
だから、世間一般の人が「山?山登り?何それ?つらそー。がんばってね」くらいにしか思ってなくて、全然山登りになんか興味がないということを知った時「えー。何それ」と思いました。今でもちょっと「山に登らないで、君たちは人生で何をするのかね?全くね?もう」くらいには思っています。
山に登る時(といっても私の登る山は現実ではちっさいです。高くても1200mとかそのくらい。ミニミニハイキングみたいなもの)、それでも、マックス自分の体力を使って、メンタルが最高潮瞑想みたいになって、荷物を最大限の効力を持たせてかつ最小限にし、あらゆる筋肉を効率的に安全に使い、ということやっている時、私はそれが何もかも楽しいのです。
山に登る時、その結果や得るものを考えていたら、山なんか登れません。結果なんかわからないし、得るものなんて、正直ないからです。そこに山があるから登るんです。それ全部が楽しいから。挑戦が、準備が、天気を見るのが、そこで起きる私の状態が、導かれる道が、道の途中に咲いている花が、いる虫が、絶景が、渓谷が、沢が、ご飯が、何もかもが楽しいのです。
家に辿り着いて、下山したことを山友に知らせて、お風呂を溜めて沈み込みます。身体は、まだじんじんしているし、汗だくで、気持ちのいい疲労が私を覆っています。今日見た景色や、起きたこと、匂いや手触りを反芻します。それ全部が楽しいのです。
メンタルな山だって同じこと。結果も、そこで得られるものも、最初は全然わからないし、それを得るために登るわけではないのです。登るしかないから、登りたいから、登ります。登っているうちに悲鳴をあげたり、谷底を見たり、前で人が雪崩に巻き込まれたり、後ろの道が土砂崩れでたたれたりします。もう、スリル満点です。でも、その時は大声で泣いて叫んでいても、孤独を訴えていても、道はきちんと光って見えてきます。ガイドも、道標も、ちゃんと示されていきます。それを受け取れるようになるのが、メンタルな山登り。だから、やめられないのです。そうやって得たある状態。行き着いた私という心/精神の状態。その平穏に、その豊かさに、その静けさに、きた時にはなかったその落ち着きに、深い喜びを得ます。それが山登りです。
「これが得られるよ」と最初からわかっていたら、果たして山登りはちょっと楽だったでしょうか?果たして山登りは、こんなに楽しかったでしょうか?難しかったでしょうか?
今、この場所に辿り着いて、私は「うん。悪くないね。うん。全然悪くないね」と、わりとにっこりしながら言えます。それは頂上にたどり着いたからでも、谷底に落ちたからでもなく、ただ、単に今この道のこの場所にいることが心底嬉しいなぁと思っているというだけです。尾根を歩いているように。
昔と違って、全員が山に登らないといけないとは全然思ってないんですが、でも少なくとも、山に登ろうとしている人がいるなら、そして山に登りたい人がいるなら、私は静かに伝えたいです。「そんなに悪くないですよ。この場所。この感じ。わりと結構人生の中でいけてる感じですよ。最高潮に」みたいな感じに。
山登り、しませんか?




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