いろんな国の言葉を学んでいくと英語というのは、かなり特殊な言語であることがだんだんわかってきます。
そもそも、言語の中でこんなにも“I“という言葉はそんなにありません。種類で言うとゲルマン語(ドイツ語、ノルウェー語…)ですが、これらの言葉でも、こんなにも”I”を大文字で主張する言葉はないしそもそも、文章の構造に「私」が出てこないと成り立たないと言うのは主にヨーロッパ言語以外ないです。
日本語も、タイ語も、中国語も、アラビア語も全部「私」が無くても、ひとつの文章が成り立ちます。
ちょっと話は飛びますが、みなさんは文楽を見たことがありますか?文楽を見ると、そこには主人公がいないことがわかります。話の流れと、大事な役割の人が複数いることはわかりますが今で言う「主人公」がいないのです。
この人の目から見たストーリーという流れでお話が進むのではなくて「場」としての全員の感情の流れがお話を作っています。
義理人情の切なさとか、そこで代償になる個人の恋愛の切なさとかそういうものが「場面」を通して伝えられます。
だから、文楽は最初から見なくてもいいのでそもそも文楽は朝から夕方までずっと上演されていました。出会した場面を見てそこに伝えられる場の流れを受け取れば楽しめるようになっているんですね。
これは何が起きているのかというとアイデンティティの変化です。
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