私が考えるに英語というのは「自分」と「自分以外」をすごく分けたがる言葉です。
「写真撮ってください」というだけでも、こうなります。
Could you take a picture of us?
Could you take a picture of me?
すでに一人なのか、複数なのかと言う情報が入っています。
それくらい、英語では「私」なのか「私たち」なのかが重要なんだなぁと思いながら、私は英語を使っています。
この考え方のメリットは、とにかく、分けることがとても上手になります。どこの誰に責任があって、誰がどう動いたら何がどうなるか。そういうことがものすごくはっきりわかります。つまり、原因と結果が明確でロジカルです。
そして、デメリットは、とかく「あわい」と呼ばれているものが消えがちです。ニュアンスだったり、ふわっとした気持ちだったり。例えば枕草子を開きます。そこに書かれていることのほとんどはあわいです。そうするとこれを英語に翻訳するのはものすごく大変になります。あわい=主語のない場の見えない空気と私は理解しています。
この「私」文化には、ものすごく大きな特徴があって、それは、物質化が得意なのです。シンプルで構造を作るのが得意な言葉なので、どんどんと「もの」ができていきます。前段でいうあわいは雰囲気で「もの」ではないです。でも、あれとこれを分けたら、それは「もの」になっていきます。そうすると近代化が進みます。コンクリートで建築物をつくり、化学物質で薬を作り。構造とロジックが得意なので、再現性が可能なものをどんどん量産できます。これが資本主義の立役者になります。
このひとりかみんなかがとても大事という背景と共に、英語を見るとなぜ全部に”a”がデフォルトでついているのかがよくわかります。一個か複数なのかがとても大事な情報だからです。
ですので、英語で名詞を使う時は、とにかくデフォルトではaがついていると考えるととてもわかりやすいです。そして、一つじゃない時は末尾にsをつけます。とりあえず、そこから始めるとシンプルです。
この強力な思考方法は、でも、近代化も物質化も孤独や消費文化を生み出したり、負の側面もあります。英語はものすごくシンプルで便利な言葉ですが、同時に、日本語や他の言語にしか表せないものもあります。そう思って言語に接するといつもより少し面白いかもしれません。




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